脳科学
人の顔が食べものに見えることがときどきある。
カニバリズム的な話ではないので安心してほしい。
まず代表例として、福山雅治はマカロニグラタンだ。
福山雅治の顔をメディアで見かけると、「ああ、マカロングラタンだなあ…」と思う。
これは、マカロニのまんなかが空洞ですかすかなこととか、こんがり焦げたチーズの下に隠されたどろっとしたホワイトソース、が何かを象徴している、という話ではなく。ただただ「マカロニグラタンだなあ…」と思うだけ。福山雅治のことはすきでも嫌いでもない。
わたしにとって福山雅治は、あんちゃんでも桜坂でもガリレオでも『そして父になる』でもなく、ただひたすらにマカロニグラタン。
ほかにもいくつか例をあげると、タモリは大根おろし、青田典子は油淋鶏、満島ひかりはスターバックスラテ、松重豊は湯葉。
誰の顔でも食べものに見えるわけじゃなくて、どういうわけか食べものに見えるひとと見えないひとがいる。というか、だいたいのひとは特に食べものには見えない。
若くてかわいくて、いかにも活きがよくぴちぴちした女の子のアイドルが、もぎたてのフルーツに見える、みたいなことでもない。肌の色合いや質感はなんとなく関係がありそうな気がしている。
少なくともたぶん10年くらい、機を見てはこの話をし続けてるけど、まだ誰の共感も得たことがない。
このことひとつをとっても、人間の脳にはいまだ多くのミステリーが秘められていることがよくわかりますね。
(ゆりしー)