瞑想にうってつけのルミネ

隙あらばインターネットか本、映画、音楽、ラジオと、趣味に値するものがなんらかの情報を受け取る類のものであるうえ、曲がりなりにも大都会・東京に住んでいると、年がら年中、目も耳も騒がしく、神奈川の山育ちの血が騒ぐのか、ときにはすべてから離れて静けさに耽ってみたい気分になるときがあって、そんなときにふと「たまには早起きして出社前に都心のお寺で座禅体験」とか「バリ島のヨガで瞑想」みたいなタイトルの記事なんかにぶち当たってしまうと、つい心がぐらんぐらんになってしまう。

 

静けさを味わうだけでなく、竹林に蟄居する寺で座禅を組んだり、バリ島に住まうヨガマスターの導きのもと鷹のポーズを一発キメたら、普段暇さえあればひたすら家であざらしのように横たわってiPhoneをいじくり回しているだけだとしても、その一回の体験でしばらくはいつものだらしなさまでチャラになり、毎朝真っ白な雑巾で窓枠のサッシの隅々まで拭き清めて回るような人になれるんじゃないかという錯覚に陥りそうになる。

 

けれど、あたりまえのことながら、座禅やヨガは魔術やレッドブルではないので、一回キメたところでどうこうなるようなものではないし、ふと初台のICCの無響室や、がら空きの観光地の洞穴を1人で歩いたときのことを思い出してみると、日常で本当に音のない場所にいることなどまずないから、静かすぎる場所は静けさが目一杯すぎて、かえってやかましかった。

 

今のところ、わたしがもっとも手軽な瞑想にうってつけだと考えているのはルミネだ。

 

ルミネが瞑想に最適な理由は各フロアのテンションが一定であることで、これが伊勢丹高島屋あたりになってしまうと、フロアごとに対象年齢や価格帯(お惣菜から宝飾品まで)が乱高下して、フロアを行き来するたびに余計な神経を使わなければならない。


また、リアルな街の場合、わたしのような方向音痴は常にGoogleマップ片手じゃないと、見知った街でも完全に迷いこむし、あまりぼんやりしていると車に轢かれたりするかもしれない。


そこへいくとルミネは、ターゲットも20〜30代女性と絞られていて、フロアごとにファッションのジャンルや構成はやや変わってくるものの、その振れ幅は世界の多様性のなかではほんのちっぽけな差なので、一定の精神状態を保ったまま、迷子や交通事故の懸念もなく、心ゆくまで徘徊(瞑想)することができる。


また、ルミネのなかでも新宿のルミネ2が、フロアの構成、広さ等の条件から、もっとも好ましい(とくに2F)。

 

ここでうっかり「昨日居酒屋で座敷に上がったら靴下に穴空いてたから買わなきゃ」みたいなことが頭のなかによぎってしまうと、即身仏の修行者にマクドナルドを差し出すくらい台無しなので、俗世の雑事になるべく関わりあいにならなくてすむよう、必要な買物は済ませてからルミネに向かうか、ルミネで買物を済ませてから瞑想に取り組むべきだろう。

 

本当の無音はあまりにも息苦しいけれど、ほどよい音楽(ルミネを訪れた人は誰もが耳にしているであろう、「テロテロ テロレーン」というBGMや各店舗が好き勝手に流す音楽がグチャグチャに混ざって、真面目に耳を傾けると吐きそうになるから強制的に聴覚の一部をオフにするしかない)も流れているし、お香の代わりにやたらと香水を振りかけた女の子がたくさん歩いている。

 

そうして、すべての感覚を7分咲き状態にしていると、だんだんすべてが薄ぼんやりとしてきて、ちょっとしたトランス状態に陥ることができる。


座禅やヨガと違って、なんの努力も経ていないゆえに、普段の心持ちが改まったりする気配は微塵もないけれど、少なくともその瞬間だけは心底解放されて、ルミネから出ると、なんということでしょう、完全なるBefore After状態の晴れ晴れとした心持ちに。

 

いつかあなたが、完全にうつろな眼差しでフロアを徘徊している女をルミネで見かけたとしたら、それはわたしや、わたしと同じ瞑想法を会得した誰かかもしれないので、どうか通報したりせず、あたたかい目で見守ってほしい。

ゆりしー